「維新の聖地」桜山神社と桜
目次
殉国の志士と桜
文久3年(1863年)10月、東行高杉晋作の発議により、殉国の志士の神霊を祀る招魂場を築くことになりました。騎兵隊士によって、開墾整地作業が始められ、慶応元年(1865年)8月3日招魂場が落成しました。
この招魂場のもつ尊い意味は、偉大な指導者吉田松陰から奇兵隊小者弥吉といった名もない者にいたるまで等しく祀られていることで、整然と立ち並ぶ霊標の姿は、奇兵隊における武士、町人の身分制を越えた新しい時代への理念を伝え、胸を打つ者がある。
この地は奇兵隊の調練場跡でもあり、招魂場となって以後、桜を植えたことから、桜山と呼ばれるようになったもので、下関市内の数多い維新史跡の中でも、ことに重要な意味をもつ聖地ということができます。
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公式サイトにもあるように、市内の多くの維新史跡の中でも特に重要な意味をもつ史跡だということが分かります。また、「桜山」と名前が付くように、桜と史跡のコントラストが美しい場所でもあります。ただ、唐戸など有名な観光地域と比較して奥まった場所にあるため観光客は少なく、静謐な空気が流れる場所でもあります。
史跡と派手なのぼり
「参道入口」急な階段が続く参道となります。
階段の途中からは桜の木々が増えてきます。
全くの私見ですが、写真に写っているオレンジや青色の「のぼり」いりますか?市内の維新関連の史跡に必ずと言っていい程あります。史跡の場所が一目で分かり易い反面、史跡の雰囲気を壊しているような気がします。
史跡を実際に訪れることで、当時の雰囲気を感じることが史跡巡りの醍醐味ではないでしょうか?何処に行っても派手な「のぼり」がパタパタしている様は、興ざめしてしまって少しだけ残念な気持ちになります。
桜の木の仕掛け
社殿前は桜が満開となっています。参道入口は桜の木が殆どないのですが、階段を上がるにつれて段々と桜の木が増えてきます。階段を上がり切って社殿を望むと満開の桜の木だけ…。意図的に桜の木を配置してたとしたら、素晴らしい仕掛けだなぁと思います。考えすぎでしょうか?
社殿内には「吉田松陰」像が安置されています。
花見(休憩)スペースもあります
社殿を正面に左手を見ると、桜の木の下にテーブルセットが数点設置されています。
お酒を飲んで大騒ぎするようなことは当然厳禁でしょうが、お弁当などを持ってきて花見を楽しむ分には、良い場所ではないでしょうか。
竹灯籠でしょうか?中を覗くとロウソクの燃え残りがありました。夜間もライトアップされているのかもしれませんね。
竜馬の死後、妻である「お龍」はこの場所で過ごしていたこともあったようです。最愛の夫を亡くして「お龍」はどのような気持ちで過ごしていたのでしょうか。
桜も満開です。
櫻山招魂場
尊皇攘夷に倒れた隊士らを身分の区別なく慰霊するために創設された施設とのことです。
中央の一段高い場所に「吉田松陰」。左右に「高杉晋作」と「久坂義助(玄瑞)」が並んでいます。
落成祭典の日に高杉晋作が感慨を詠んだ歌の自筆が、刻されたものです。動揺から転がった筆の滲みまで、再現されているとのことです。
391基の招魂碑が整然と並ぶ様は見事です。
社殿と桜を背景に望む。
桜が一層、招魂碑の印象を引き立てる様な気がします。
アクセスと駐車場
下関駅から北浦方面に車で5分程。「下関医療センター前」の信号を桜山小学校方面に右折。道なりに進みます。
参道前の駐車場は車が3台程度しか駐車出来ません。また、階段も長い為、お身体が不自由な方の利用は難しいかもしれません。
社務所横の駐車場であれば社殿前まで上がることが出来ます。道が少し分かりづらいですが、お身体が不自由な方でも参拝が可能なコースとなります。