厳島神社「高杉晋作が戦勝記念に持ち帰った大太鼓」
目次
厳島神社の由緒
安紀国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船におまつりされていたが、壇ノ浦の合戦後に磯辺に放棄されていた。
その時、里人に神託があったため不思議に思いながらそこに行ってみると、磯辺に御鏡太刀様なものをみつけ、文治元年(1185年)里人たちが社殿を建立し、更に安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請し今日に至る。
慶応元年(1865年)4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発令。特に高杉晋作率いる小倉口戦いは最大の激戦となったが、慶応2年8月1日、幕軍総帥小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走した。
この戦に際し高杉晋作は長門国厳島神社に戦勝祈願を実施しており、小倉城の余燼の中から大太鼓を持ち帰り大御神へのお礼にと奉納された。
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鳥居がマンションの壁に?
こちらが参道正面の鳥居です。
道路を挟んで向かい側にも鳥居があるのですが、鳥居のマンション側を良く見てみると…。
鳥居がマンションに食い込んでいます‼ 多分、マンションを建てる際に鳥居に手を加えることを避ける為の苦肉の策かと思われます。このような事からも、厳島神社が地域の方々に大切にされていることが分かりますね。
参道から社殿
参道は鳥居をくぐって、40段程の階段が続きます。
参道前のスペースは駐車禁止です。正面右手の道路より境内まで車で入ることができます。
階段を上がると、左手に大太鼓。右手に社務所となります。
直径110cm、重量390kg。かつて小倉場内の北側櫓にて城下に時を告げていた太鼓だそうです。下から見るとかなりの迫力です。この大太鼓の迫力が、倒幕への重要な契機となった歴史を悠然と物語っているような気がします。
手水舎です。
社殿になります。
厳島神社もまた、高杉晋作と縁深い神社のようですね。
特に珍しいのが、社殿の目の前まで車椅子などでも行けるように、スロープが設置してあることです。つまり、車椅子のままで鈴を鳴らし、さい銭箱に御賽銭を入れることができる神社なのです。神社でここまでスロープが設置されているのは、とても珍しいと思います。「バリアフリー」な神社。最高です‼
高杉晋作終焉の地
先ほど説明した、鳥居がマンションに食い込んでいる場所から南に50m程進んだ場所にひっそりと「高杉晋作終焉の地」があります。尚、専用の駐車場はありませんのでご注意下さい。
高杉晋作が小倉口にて華々しい戦果を挙げて、小倉城より大太鼓を持ち帰ったのが慶応2年(1866年)6月。翌慶応3年(1867年)4月14日にこの地にて没しました。まさしく、「雷電」の如く激しく美しく駆け抜けていった人生だったのではないでしょうか?
記念樹はやはり「桜」でしょうか?