「勝山御殿跡」風雲急を告げる幕末の城
目次
外国船の砲撃を避ける為に内陸部に急ピッチで建造
新下関から県道(長安線)を長府方面に抜ける際に「勝山地区公園」という標識が現れます。標識に沿って県道を左折して住宅街を抜けながら坂道を車で5分程登っていくと突然大きな石垣が見えてきます。
時は幕末。諸外国からの船が多数、関門海峡にも入ってくるようになってきました。この地域を治める長州藩は攘夷思想に基づき外国船に向かって砲撃を実施しましたが、その報復として最新式の軍艦を備えた外国船が、関門海峡沿岸部に多数の砲撃を加えて甚大な被害をもたらしました(馬関戦争)。
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当時の長州藩の藩邸は関門海峡沿岸部の櫛崎城にあり、艦船からの砲撃を避ける為に、内陸部への藩邸移転の結果、建造されたのが勝山御殿となります。当時を偲ばせる建物は残ってませんが、本丸御殿の石垣が比較的良い状態にて残っています。また、当時の縄張りを利用した形にて公園化されており、駐車場やトイレなども完備されています。
駐車場
公園に最も近い駐車場。10台ほど駐車可能です。本丸御殿跡に行くには階段やスロープを利用します。
道を挟んだ駐車場。こちらはも10台ほど駐車可能です。どちらも綺麗に整備されていますが駐車台数が少ないのが気になりますね。特に平日は営業車なんかの昼休憩の場所にも利用されているので、停められないこともあります…。
見事な石垣なだけに残念
本丸前の石垣です。様々な形の石材を器用に積み上げています。
本丸奥の石垣です。こちらは、比較的小さな石材で積み上げているのが分かります。
虎口(出入口)部分の石垣。コーナーの部分は特に重要なため大きく立派な石材が利用されています。
こちらは残念な写真です。石垣の左半分がコンクリートの擁壁となっています。公園整備のためやむを得なかったのかもしれませんが、貴重な石垣が壊されてしまっています。うーん、興ざめしてしまいます…。
発掘調査の結果が看板になってます。
本丸跡は広い広い
本丸跡は非常に広いグラウンドとなっています。情緒も何もありませんが、子供達には大好評です。
利用している人も少ないので、広いグラウンドで思いっきりボール遊びなどができます。
本丸奥には何故か大きなステージがあります。これ、使われることあるんでしょうか?
隣りには大きな謎の石もありました。特に説明書きなどもなく、いったい何の石なのでしょうか?
トイレと自販機
トイレは比較的綺麗な状態で管理されています。身障者トイレも完備してあります。公園周囲に店舗などはありません。唯一、トイレ横には自動販売機が設置してあります。買い物に関しては県道沿いまで下るとコンビニエンスストアがあります。
公園からの眺め
公園から北側を望む。写真最奥のチョンと飛び出している山が勝山城です。厳島の戦いの後、毛利氏に追い詰められた大内氏が最後に立てこもった城になります。
公園より西側を望む。写真奥の山が青山となります。新下関市街から眺めると富士山のような美しい形をしているので、長門富士とも呼ばれているようです。
公園より南側を望む。山の向こう側は城下町長府と関門海峡になります。さすがに、ここまでは外国船の砲撃も届かなったでしょう。